子供が主役のお受験へ

一時期話題にもなったお受験。
一般的に受験は高校受験が最初の人が多い。
しかし私立の小学校や中学校に入学するために、幼稚園生や小学生が必死に勉強している。

私はこのお受験について否定的であった。
幼いうちは遊ぶことが勉強。義務教育の中で、同じ地域の子が通う学校へ進学することは、友達も作りやすい。
学校は勉強だけをする場ではない。

放課後の遊びも、その世代の子供にとっては立派な勉強なのだ。
しかし最近はお受験に挑戦する人たちの気持ちも分かってきた。
お受験を経て大人になった友達と接していると、頭がいいと感じることが多い。

頭がいいというのは、単に知識量が多いだけでなく、頭の回転が速いと思うのだ。
何事もメリットとデメリットがあることを考えると、頭ごなしに否定することはよくないとも考えるようになった。

お受験をして私立で勉強していくか、地域の学校に進学するかは、その家の事情によって違ってくるだろう。
ただ、忘れてはいけないことがある。
子供の人生の主役は子供だ。

大人の都合や見栄のために振り回すことはあってはならない。
子供も、きちんと話をすれば理解できるだろう。
主役の意見を尊重することを忘れてはいけない。

ところが、家柄や世間体、面目等を保つための手段と考えている親も現実としては居る。
その子が将来社会人になったとしても、お受験の話はネタにすらならないというのに。
お受験と生きていくことは、相関関係は無いのである。

若者は独立すべき

人は生まれてから親と一緒に住んで、親の守りで成長することは確かに幸せですが、将来の発展に悪い影響を与えると思います。
特に中国や韓国、日本のようなアジア国にとって、子供は家族の中心です。

家族のみんなは子供を可愛がって、子供はますます家庭の小皇帝になってしまいました。
自分で服を着られなく、入学の時自分で学校に行けなくて、親が学校まで送ります。

このように育てた子供は大人になって社会人になったら、自分の力で生きていけないでしょう。
まさか会社に入った後も何でも親に頼りますか?
それとも部長や課長に頼りますか?

もちろん自分で処理しなければならないでしょう。
ですから、親たちは子供をいくら愛しても、自分の子供を独立させたほうが子供を愛する表現だと思います。
過保護の影響は、計り知れないものがあります。

ニート問題は、本人が病気の場合と親の指導力不足のどちらかになります。
しかし、大抵は後者の場合は、自分らの事は棚に上げて、全てをニートである本人に責任を転嫁するために、ますます状況は酷くなるケースが多いのかもしれません。

たまにドキュメンタリーで、引きこもりニートを強引に外に引っ張り出すようなシーンが映し出されますが、引っ張り出されている方は、何か言いたくても言わない表情が見て取れます。
親やカウンセラーが一方的に、何かを口走っているだけなんですよね。

そのやり方もかなり疑問ではあります。

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