占い

貴女は、占いを信じるほうですか。
それともそんなことはまったく気にしないってタイプですか。

占いって、私たちの人生や生き方についての結構奥深いところまで踏み込んでくるので、ワタシ的にはあまり近づきたくない類のものなんです。

確かに、悩みや心配事はあるけど、それば自分で切り開いていかなくちゃって思うほうなんで・・・。
なにか目に見えないものにすがって、何とかなるものではないんじゃないかと・・・。

それでも人間なんで、きついときもあります。
そんなときこそ、楽しめる何かに没頭してリフレッシュ。
なんて、単純すぎますかね。

占い師の助言は、あくまでも統計学上の結果と鑑定の経験値による一般論であると考えた方が、後腐れがありません。
たった数十分で、我々お客の素性がわかるわけは絶対にないのです。

更に、画一的な教育体系で学んでいるのですから、大多数と思想信条が似て当たり前なんです。
これが集団で管理された教育のデメリットでもあるんですね。
人と同じだと安心する心理を上手く用いるのも、占いのノウハウのひとつなのです。

地獄に落ちる、などとテレビの前でありながら、恫喝めいた物言いなどでいろいろと注目された人物がいましたが、もはや占いではなく圧力以外の何ものでもないショーもありました。
それらを信じる信じないは個人の自由ですが、表面だけを見ることは、やはりリスクであると考えます。

ゲンキンな自分とおみくじと占い

今年私はおみくじを引きました。
なんと大吉。
でも、翌日にはその大吉を引いたことも忘れ、滑って転んだことを「厄年」だと思ってしまいました。
私の様な人がおみくじを引く意味があるのかは…あえて考えませんが、なんでこんなに忘れてしまうのでしょう。

本当に自分でも不思議で仕方ないのですが、なんでこんな単細胞な造りになっているのだろうと思ってしまいます。
そのほか血液型占いや星座占いなどありますが、見てもその場ではうんうんと頷くだけで、すぐに忘れてしまいます。
でも、きっと私だけじゃなくて、他にもそんな人がいるだろうと、思ってしまう時点で私はかなりいい加減なタイプかもしれません。
そんなことを思っていたら、先日母とたまたま食事をしていたらこんな話になったのです。
「今日のラッキーカラーの赤い服を着たんだけど、歳相応ではなくて恥ずかしいわ。」
私の身体にもう少し母の血がたくさん流れていれば、このようなことを私もしたのかもしれません。
でも、その時私はすごく窮屈に感じてしまったのです。
自分の思いに反した色の服を着て出かける母の姿を見て、なんでそんなものに振り回されるのだろう。
娘と会うのだから、好きな服を着て、好きなものを食べて、好きに出かける、そんな感じでいいのではないだろうか。
そして、思いついてしまったのです。
あぁ!私の様な「後付けタイプ」の人間が思いそうなことだなって。
いわゆる屁理屈なタイプと言うのでしょうか。
本当に私っていやな奴!と思いながらも、きっとこの感情もすぐに忘れてしまうのだろうと思っています。
でも、占いを見たくなってしまう私はやはり女性であって、その反面自己満足で終わらせてしまうタイプ。
自分のことを長生きしそうな性格だとつくづく思ってしまいます。

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