個性を発揮

年齢や個性の枠を取り払って、お洒落することの楽しさを伝えたい。
一人ひとりの個性を尊重したその人ならではのお洒落なコーディネイトを模索する。

お洒落することの心地よさをあなたに伝えたい、みんなが幸せでありますように。
行きかう人にさりげなく交わすこんにちは。

すべての人が仲間のように、家族のようにかんじられたら幸せだね。
一人ひとりが個性を主張しながら、亜互いを尊敬する。
そんな関係ができる人付き合いがしたいよね。

そんなポエムを過去に書いたが、理想と現実は大きくギャップがあり、かなり失望したものである。
が、所詮、独り善がりのポエムは誰の何の役にも立たず、あっさりと破り捨てた。
そこで積極的に前に出るように性格を変えることにした。

効果は抜群で、心身ともに若返った感じすらあるのは驚きである。
人間、何かのきっかけがあれば変われるものである。

そのきっかけというものに気付くかどうか、それが一番の問題点ではあるのだが、現状に満足し続けることだけは、変化の妨げにはなるようだ。
ポエムに関しても、前向きな感じはしない。

ポエムを他人に話すと、必ず引かれてしまう。
一般的に、素人がポエムを書くことは、ちょっと敬遠され過ぎている雰囲気があるが、その原因がはっきりとわかった。
日常にポエムを持ち込んでしまうのである。

これは気持ち悪いと思われても仕方がないでしょう。
今では、笑い話で済みますが。

昔の日記は恥のオンパレード

最近はブログなどインターネット上で日記を公開することが多いですよね。
私も昔、ブログを書いていました。
先日久々にそのブログを開いてみました。
仕事が忙しくなり、いったんやめていたブログです。

久しぶりに見たブログは恥のオンパレードでした。
その当時の恋愛がうまくいってなければとても自暴自棄的な内容になっていたり、将来どうなりたいかを赤裸々に語っていました。
さすがにポエムのようなことは書いていないですが、読み返すとなかなかの赤面ものでした。
思い返してみれば、昔から日記には自分の思いを書いてきました。
小学校のころからです。
母が毎日日記を書く人なので、母に憧れて始めました。
日記を書くってとても大人に思えたからです。
でもその小学校の日記は人目にふれることなく、そっと我が家の段ボールの中にあります。
小学校の日記とブログの違いは、内容は変わらず公開しているか、していないかなんですよね。
昔から恥ずかしい思いを書く癖があったのに、どうして日記を公開してしまったんだろうと思います。
でもその当時は別に恥ずかしいと思っていなかったわけです。
そうやって昔の思いを恥ずかしいと思いつつ、いろいろなことにまだ夢があったころが少し羨ましくなります。
きっと今書いている日記ももう10年後に見直すと恥ずかしく思うのだと思います。
でもそのとき一生懸命日々を過ごしていることを何かの形で残しておきたいので、私はこれからもずっと日記を書き続けると思います。
それを公開するか、しないかはまだわかりませんが。

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