PTA活動は必要か否か
知人が今PTAで大変そうだ。
子供がいると、思わぬところで神経を使うものだな、と思う。
役員になるのならないの、会議の準備がどうのと、忙しそうである。
そういえばPTAは何の略だろう。
Pの部分がPARENTなんだろうというのは分かる。
Tはなんだ、TEACHERか。
いや、そのくだりはおかしい。
PARENT TEACHER ASSOCIATIONというのはいかにも和製英語みたいだから絶対違うだろう。
それはさておき。
その知人は、子供が三人いるが、今ちょうど一番上の子の分のPTAの役員をやっている。
下の子のときにやらないですむように今やっているらしい。
大抵役員は一度、というようなきまりらしいから、それは平等にできているな、と感心する。
けれども話を聞いていると、ずいぶん分からない親が多いようだ。
一時メディアでモンスターペアレントなる常識のない親たちがクローズアップされたが、いわゆるそれの一群であろう。
いずれ誰もが一度はやらなくてはいけないPTA役員も、はなから「自分は絶対やらない」と言い張る親だったり、ちょっとした子供の言い合いでもいじめ問題に発展させてしまう過敏な親だとかは、なかなか問題の種になっているようだ。
いじめ問題については、これは本当に難しい問題だと思う。
どんな些細なことであれ、それを苦痛に感じる子供がいる以上、のっぴきならない問題に違いないことは、子供時代を経験してきた一人間として非常に理解できる。
けれども、同じく現にいま大人として暮らしている自分から見て、とてもいじめではないことに、過敏に反応する親を憂慮する大人の気持ちも分かる。
要はものの捕らえ方が人それぞれということになるのだが、それが共同社会における問題であるということは忘れてはいけないと思う。
一人の空間ならいいが、社会生活を営む以上、自分の利益だけを追求するわけにもいかない。
でも、それがどうも万人に通じる感覚ではないらしいから、知人も困っているのだ。
自分はいやなことを人にやらせてそのまま捨て置くなんて法があるだろうか。
自分のことや、自分の子供のことしか考えない、なんてそんなことがあっていいのだろうか。
そんな親が、子供にしっかりとした人間教育ができるのだろうか、とちらと不安になってしまう。
なんて親にもなっていない自分が言うのも全く愚の骨頂なのだろうが、でもこれがおそらく世の中の視点であろう。
困った親だとみんなから言われる親は、やっぱり困った人間には違いないのだ
そういえば、PTAはPARENT –TEACHER ASSOCIATIONであった。
ちょっと驚きである。